2008年04月15日

捧花の夢/目覚め1(6)

迷った末に、2の頭にする予定だったところを1の最後に持っていくことにしたのでした。
ということで、以下は「目覚め」1(6)です。
この直前まではこちら

※4/20 一部修正。
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「信じられんな」
 ジアンはラーガットの話を一刀両断した。
「うわあ、容赦ない。ひどいなジアン」
「ひどくありません。こんなめちゃくちゃな話を信じられますか」
 長い話をしたことからくる疲れを感じつつ、ラーガットはしかめ面の術師の言葉に「そうだよなあ」などと内心大きく頷いていた。表には出せなかったが。
 ステーレットについてはシェルプスや禁足地云々のことを除いて話した。昨夜警官に話したのとほぼ同じだ。
 友人の親戚の子が何故か家に置いていかれて、その子を巡って襲撃されたり追われたり。そんなこと、客観的に考えれば信じられる話ではないと思う。
 しかし、
「私はそんなこともあるのか、と思ったけど?」
 館の主人はそう言った。従者の溜め息が痛々しく響く。
 ラーガットとしては複雑な気分だ。信じてもらわなければ困るのだけれど、こうあっさり信じてしまうこの人は大丈夫なんだろうか。このジアンって人も苦労するなあ、などと思ってしまうのは、おそらく自分が一番この出来事を信じられずにいるからだろう。
「あなたは黙っててください」
「そういうわけにはいかない。私の客だよ?」
「この話は私の領分です」
「うん、それはそうだね」
 グレーンはあっさりと頷き、発言権をジアンに回した。何かを疑っている様子で、ジアンは口を開く。
「百歩譲ってその話を信じたとしてだ、あんな解呪結界を展開しておく必要はなかっただろう」
「……それは、その、撹乱のために必要で。後のことを考えて念には念を入れて、というか……」
 シェルプスのことなど納得いくように話すことは難しい。深く聞かれたくはないところだが、うまく話すこともできず、少し言葉が弱くなる。
 表情から真偽を見定めようとでもいうのか、男は険しい視線でラーガットを見ていたが、やがてフン、と鼻を鳴らした。
「お前の解呪結界で、この館の結護が吹き飛ばされかけた。どれだけ修復に手間がかかったと思う?」
「あー……それは、すいません」
 ジアンというこの男の不機嫌の理由がようやく理解できた。館の結護が壊されたことで、修復に追われていたのだろう。吹き飛ばされかけたというのはずいぶん大げさな表現だとは思うが。そう考えた上で男の顔を見ればどこか疲れたような表情でもあり、ラーガットとしては立場の弱さもあって下手に出るしかない。
「そんなにおおごとにしなくたっていいだろうに、ジアンは大げさだなあ」
「……グレーン様。結護の修復にどれだけ手間がかかったか知って、そうおっしゃるんですか?」
 どこかのんきな主人はバツが悪そうに目をそらしたが、ラーガットはある程度ジアンの苦労を想像できる。館の結護をどう構成するかなど考えてみたことすらないが、相当に工夫の凝らされた苦労の一品であるのは間違いない。自分につけられた腕輪は、まかり間違ってもう一度結護が壊されたりすることのないように、という対策なのだろう。一応それで納得はいく。
(──ひっかかるところもあるんだけどな)
 そんな大層な結護が必要なこの館は一体何か、ということだ。館の結護となると事例をいくつか知ってはいるが──
 ラーガットがそれについて思考を巡らせる前に、ジアンが口を開いた。
「そういうわけだ、また壊されてはたまらないのでね、しばらくはその腕輪を外すわけにはいかない」
「まあ、仕方がないですね……っ」
 ラーガットはつい肩をすくめ、それと同時に全身に痛みが走り、顔が歪んだ。うずくまることも出来ずにそのまま固まる。グレーンが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだい?」
「……全然動かないから何かおかしいとは思っていたが。術の反動で身体がやられたか? それほどのものとなると、転移したというのもあながち嘘ではないのか」
 冷静に分析するジアンの声を遠くに聞いた気がした。と、肩に手をかけられて上半身を布団に押しつけられた。思わず悲鳴を上げたが声にならない。
「酷い痛みだろうが、起きたまま動けない方が辛いだろう、寝ていろ」
「医者を呼んだ方が良くないかい?」
「今夜はあいつが帰ってきますよ。そうしたら診させればいいでしょう」
「でも、ものすごく痛そうじゃないか」
「術師に必要な痛みですよ、これは」
 ラーガットは主従の声を聞きながら、激痛のあまり思考を放棄した。

(今度こそ2へ続く)

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そのうち1は上の部分を入れて更新しますね。

さて、2は館の人たちの話が進みます。ラーガットはしばらく使い物になりませんから(ひどい扱いだな)。
グレーン周辺が先かジアンの動向が先か。もしかしてジアンだけか。
大穴で、起きた妹視点ってのもあるんですが(笑)。

ストックがまたゼロになったので、しばしお待ちを。
posted by 綾野忍 at 01:28| Comment(0) | 捧花の夢

2008年03月24日

捧花の夢/目覚め1(5)

(1) (2) (3) (4)
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「ここは、エイデールにある私の家でね。あ、エイデールって言ってわかるかな?」
「わかります」
 キェイルからセルエグに向かう途中にある、歴史の古い町だ。少し教養のある者なら誰でも知っている。
「おかしな場所ではないから安心してかまわないよ」
「私が安心できないんですがね、グレーン様」
「君は別にいいよ」
 ──正直、ラーガットは後ろの男に同情しそうになった。
「ああ、でも見知らぬ人の家には違いないから、安心できないかな?」
「だから、安心できないのは私の方なんですが」
「……ジアンは心配性だな。厳重に封じの腕輪をつけたりしたくせに」
「当然です」
「すまないね、不機嫌な奴で」
「不機嫌にもなります、だいたいあなたという人は」
 主従はあれこれと何やら言い合いを始めた。会話から放り出されたラーガットは妙な漫才を見させられている気分になった。険悪というわけではないが居心地が悪い。黙っているとどこまでもこの調子なのではないか。
「……あの、それで。私はどうしてここに?」
「ああ、ごめんごめん」
 二人のやりとりが途切れたところで声をかけると、グレーンはラーガットを安心させるかのように柔らかな笑みを浮かべた。
「道端で倒れていたことは覚えているかい?」
 ラーガットは頷いた。
「昨夜出先からの帰りにね、倒れていた君たちを連れが見つけたんだよ。流石に夜は冷え込んでくるし、そのままにもしておけないだろうと思って、馬車に乗せてきたというわけ。ああ、他の三人も別室で寝てもらっているから。疲れ切っているようだけれど、それ以外の問題はなさそうだから心配しなくて大丈夫だよ。ジアンもきつく当たったりしていないし」
 嘘を言っているようには見えないし、だいたい嘘を言う必要もないだろうから、ひとまずは安心していいのだろう。知らず深い息を吐いたら、少し肩の力が抜けた気がした。
「それにしても、あんなところで倒れているなんて何があったんだい。小さな子どももいるし、君なんて靴も履いてなかったし」
「そうだな、聞かせてもらおうか、事情とやらを」
 首を傾げる柔らかな雰囲気の主人に対し、ジアンというこの術師はずいぶん刺々しい。何故この術師からここまで睨まれなければならないのかよくわからないのだが、ともあれラーガットは話してみることにした。

(2に続く)

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やっと1が終わったー!
そのうち一部改稿してhtmlでupします。

2はしばらくお待ちを。まだ仕事が忙しいんだよー。
posted by 綾野忍 at 00:03| Comment(0) | 捧花の夢

2008年03月13日

捧花の夢/目覚め1(4)

(1) (2) (3)
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 その青年は寝台に近づいてきたが、あと二、三歩というところで、後から来たもう一人の男が走り寄って留めた。
「なんだい、ジアン」
「なんだい、ではありません。危険です」
「……危険って、別に今はなんともないじゃないか」
「今はそうですが、だからといって油断は出来ません」
 会話からして、二人は主従なのだろう。主らしき青年はむう、と唸るとラーガットに向けて肩をすくめつつ詫びた。
「失礼な奴で申し訳ないね」
 首を振ろうかと思ったが、痛みが走りそうで怖い。「いいえ」と小さく応えた。若干の痛みはあるが話すことはできそうで、内心ホッとした。話すのにも痛みが伴うようではどうしようもない。
 おっとりした青年は近づくのを諦めたらしく、従者らしき男が引き寄せた椅子に腰掛けた。やや遠いが会話に支障はないだろう。ラーガットは問いかけてみた。
「……あの。ここはどこで、あなた方はどなたでしょう……?」
「まずそちらから名乗れ」
 ジアンと呼ばれた従者らしき男が眉間にしわを寄せて言い、主の青年は困ったようにラーガットに謝った。
「ああ、まったく申し訳ない、こんな口やかましいのが一緒で」
「いいえ、……まあ、当然ですから」
 目を伏せる。首をうかつに動かせないので目礼のつもりだったが通じただろうか。
「私はラーガットといいます。ラーガット・ユーニスグレイド」
 しかめ面の男がますます眉間にしわを寄せた。一方、主人らしき青年はにっこりと微笑んだ。
「ラーガット君、か。私はグレーン・デールというんだ、よろしく。この口うるさいのは」
「ジアン・サリュードだ」
 機嫌悪そうに名乗られたのは術師名だった。ということは、この男が封じの腕輪をしたのだろうか。そう考えていると、ジアンが探るように問いかけてきた。
「……ユーニスグレイド、といったか?」
「はい。……それがなにか?」
 グレーンも不思議そうに、自分の背後に立つ従者を振り仰ぐ。
「いや、何でもない。……それで出身は、仕事は?」
「キェイルです。叔父が経営している文具店に勤めています」
 ふむ、と思案深げに視線をそらしたジアンをよそに、主の青年は口を開いた。
「キェイルというと、ブラース山脈の北の要衝だね。小さいながらも古い歴史がある、なかなかよい街だという話だけど、まだ行ってみたことはないんだ」
 今の時期だと紅葉がきれいだろうなあ、行きたいなあ、などと青年は呟いた。

(続く)

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気分転換に久々にファイルを開いたら少し進んだ。
次で1は終了の予定。次も分量的にはこのくらいかな。
話が動くのは2の終盤からだから、もう少しさくさく書きたいところ。
でも忙しいorz
posted by 綾野忍 at 02:31| Comment(0) | 捧花の夢

2008年02月03日

捧花の夢/目覚め1(3)

(1) (2)
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 昨夜のことを思い返して、ラーガットは顔をしかめた。
 ──シェルプスの行使した転移は成功した。
 踏みしめていたはずの地面の感覚が無くなって、再度足裏に地面の感触を感じたとき、彼らはすでに草原の中にいた。正確には、草原を切り裂くように伸びる白い道の端に。
 ただ、初めてであったせいか、特殊な術行使のためか、あるいはあれが転移の標準なのか。地面の感触を感じていなかった間の、つまり空間を渡る間の感覚は悪い意味で筆舌に尽くしがたいものがあった。もしあれが標準で毎回なのだというのなら、できれば二度と味わいたくはない。
 アールスとエディルも同様だったのか倒れ込んで荒い息をついていたが、ラーガットはどうにかたたらを踏んで持ちこたえ、シェルプスが離れた気配を感じると即座に術を展開した。風と地の力を借りて、精霊干渉を解呪すると同時に自分たちの気配を散らす簡易結護。術の構成は荒かったが、あの幽霊が「上出来だ」などと言ったことは覚えている。
 しかし、記憶があるのはそこまで。
 自分もあの後すぐにクラリときて、どうやら仰向けに倒れたらしく背中に衝撃を感じた後、そのまま意識が暗転してしまったのだから。
(……昨日の簡易結界の効果は切れてるよな、多分)
 多分、と心許ないのは、精霊の力の流れを今のラーガットは認識できずにいるからだ。
 視線だけを手首に向ける。そこには見知らぬ腕輪が嵌められていた。その意匠こそ見知らぬものだったが、おそらくこれは封じの腕輪なのだろう。術師の力を封じるものにはいくつかの種類があるが、認識自体を阻害するとなると、これはかなり強力な部類だ。
 誰がやったのかはわからないが、自分が術師だということは知られているようだ。しかも封じられているということは、おそらく警戒されているのだろう。
 この腕輪はきちんと解呪しないと外せない。しかし、腕輪の術構成が読み取れないのだから解呪は無理だ。
 昨日の簡易結界がいつまで効果があったのか気になるが、それ以上に気になるのは今の状況だ。他の面子はどうしているのか。
 せめて視覚情報だけでも増やしておこうと、痛みを堪えつつわずかに背後を振り返る。予想していたことだが、自分の後ろ──寝台の頭の向こうは壁になっている。つまり、この部屋にいるのは自分だけということだ。
 シェルプスもいない。気配すらこの部屋には感じられない。封じの腕輪の効果かも知れないが、まあ、ステーレットについていると考えて間違いないだろうと思う。あの幽霊はそれが使命だそうだから。
(アールス叔父さんとエディルも無事ならいいけどな)
 それ以上の状況がわからず、ラーガットは顔を正面に向け直して途方に暮れた。
 とりあえず、もう少し情報を集めたい。しかし、身体は痛くて到底動けない。
 しばらく悶々としていると、遠くから足音と話し声が近づいてきた。緊張する時間もなく左手奥にある戸のところでそれは止まり、コン、とただ一度の軽いノックに続いて戸が開く。
「ああ、ほんとだ、起きてる起きてる。──気分はどうだい?」
 見知らぬおっとりした青年がにっこりと笑いかけてきた。
(続く)

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あと1回か2回で「2」に移行したいところ。
「目覚め」自体がそこそこ長い話になるかもしれません。
まだ全然本題に入れない……(苦笑)

今日はすごい大雪でした。
明日は凍結してそうで怖いなあ。
posted by 綾野忍 at 23:11| Comment(0) | 捧花の夢

2008年01月20日

捧花の夢/目覚め1(2)

前話である(1)はこちら

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──ゆがんでひずむ周囲の音に落下し浮き上がる身体と精神は渦巻き押し寄せる色彩に知覚も推測も拒まれて上下左右から抵抗も従属も許されない奔流にもてあそばれ狂って唸る平衡感覚に終わりはなく理解できぬまま翻弄され引きずられ押し上げられ吸い込まれ飲み込まれ突然何もかもから解放され支えをなくし、て、たら、落ちる──落ちる?


「うああああっ!」
 突然意識が覚醒した。
 自分が置かれた状況がわからず咄嗟に身を強ばらせて周囲に意識を巡らせるが、何事も起こらなかった。
 危険は──ない。空から落ちているわけでもない。自分はただ座っているだけ。
 そこまで確認したところで、跳ね上がっていた鼓動の音に気づく。ラーガットは深く長く息を吐いた。驚いて息も止めていたようだ、とぼんやり思う。何かを考えるということもできず、ただ何度もゆっくりと呼吸を繰り返した。
 落ち着いてくると、自分が何かを握っていることに気がついた。視線を落とすと柔らかな白い毛布が目に入った。
(毛布……布団?)
 毛布の上には古式ゆかしい柄の布団もかかっていたが、それは今起き上がったせいでめくれ上がっている。
 そういえば、自分が座っている場所はやたらと柔らかい。これは敷き布団か。その柔らかさを確かめようと手を動かし、
「痛っ!」
 全身に走った衝撃に動きを止めた。手を動かしただけなのに、ずきんずきんと痛みを訴える身体。指をわずかに動かそうとしてもそこから痛みが響く。
 横になった方がいいと思う。しかしそうするとまた痛みが走りそうで怖い。しばらく悶々と悩んだ末、ラーガットはそのままの姿勢でいることにした。動かなければ痛みは治まってくるようだったので。
 首に痛みが走らないよう、ゆっくりと視線だけを上げる。
 そこにあったのは、何から何まで見知らぬ部屋の風景だった。
 布団は大人が二人はゆったり眠れそうな大きさがあった。布団の端が見えなくなっているのはもちろん寝台に乗っているからだ。軽さからして、綿ではなく羽毛が入れられている。肌触りも良く、きっとよい値段がするに違いない。
 左を見やれば褐色の卓と椅子とが置かれていた。施されている装飾はこれも古いもので、よく磨かれているのだろう、右手の窓から入ってくる光が深い色を得て反射する。窓に視線を向ければ、それも古い様式の硝子窓。それを飾る遮光幕もまた由緒ありそうな北方の織り。そういえば敷かれた絨毯も見える範囲では結構なものと推測され、部屋と調度品の調和は趣味の良さが感じられる。
 つまり、なかなかのお大尽ないし趣味人の家の一室なのではなかろうか。
(……しかし、どういう状況なんだろうか、これ)
(続く)

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ラーガットのように寝ても痛い、起きてても痛い、というのはつらいですな。

「目覚め1」はこの分量であと3〜4回かなあ。先が、というか量が読めません。いつ続きができるかもわかりません。書く事柄自体はだいたい決まっているので、気分転換でうまくはかどればまた近いうちに。
posted by 綾野忍 at 02:15| Comment(0) | 捧花の夢

2008年01月13日

捧花の夢/目覚め1(1)

「グレーン様、どちらです?」
 寝室に居ない、食堂にも書斎にも居ない、しかし出かけた様子もない。
 どこに行ったのだろうかと廊下で考え込んだジアンは、若い主の声を耳に捉えた気がして、その方向に足を向けた。
 だんだん声は大きくなっていき、たどり着いたのは館の中庭。
 家柄からすれば館もこの庭もさほど大きいものではないが、丁寧に手入れされたこの庭は誰に見せても誇れるものだとジアンは思う。秋の花々が控えめに存在を主張しつつ調和を見せるその様は実に美しい。
 一幅の絵になりそうなその風景の中央、手入れのおかげでまだ青々としている芝生の上で、寝間着姿の青年が屋根の上に向かって何やら手招きしていた。
(久々に帰還したと思えばこれか)
 ジアンは溜め息をついた。探し人たる主の姿はよく言えばおっとりした青年、普通に言えば頼りなさげな男、悪く言えばひ弱そうな若者であり、ただでさえ威厳も貫禄もない。さらに今は、起きたばかりなのだろう、胸元まで伸ばされた柔らかな茶色の髪が整えられておらずぼさぼさだった。これではいまいち誇れない。むしろ誰にも見せられたものではない。乳兄弟権限でもって今すぐ簀巻きにして部屋に連行して説教してやりたい。
 声を張り上げている主は、ジアンの存在にまだ気づかない。
「キーリィ! キーリィ! おーい、おいってばー」
 ジアンは溜め息を押し殺した。とりあえず、主を簀巻きにするのは空想の中でだけにしておく。望まぬ客人の存在を思い出したからだ。
 厳密には客人とはとても呼べないと思うが、主が客人としてもてなそうとしている以上はしかたがない。そして客人が居る以上、そのような醜態を見られるわけにはいかないのだった。──今の主の姿は充分醜態ではあるのだが、客人の部屋からこの庭は見えないはずだ。
「まったく。グレーン様、何をしているんです」
「ああ、おはようジアン」
 振り向いた主はずり落ちる眼鏡を押し上げ、おっとりした学者のような風貌を笑みで崩す。
 ジアンは肩をすくめた。
「もう昼過ぎです。いくら帰ってきたのが明け方だからって、こんな時間まで寝ていたんですか。それにそんな格好で外へ出て何をしているんですかさっきから」
「何って、キーリィを呼んでるんだよ。ほら、あそこ」
 ジアンは青年の示す先を見た──なるほど、確かに彼女がそこにいた。ときどき彼女はこうして屋根に陣取る。
 それにしても、グレーンを無視するのは彼女にしては珍しい。館は二階建て、周辺の家に比べればずっと大きいとはいえ、屋根に上っているからといってこちらの声に気づかないはずはない。それなのに彼女は見事にそっぽを向いていた。ほとんど動かず、じっと宙の一点に視線を向けたままだ。
「あの子、朝からずっと屋根に上ったままなんじゃないかと思うんだ」
「ああ、そういえば一緒に戻ってきたはずなのに館の中には入りませんでしたね」
 主は目に見えてオロオロしている。
「何か彼女の気に入らないことを私はしたんだろうか。どう思う、ジアン?」
「……さあ。貴方がたがお出かけの間、貴方と彼女に何が起こったかまでは存じませんし」
 主人は頭を抱えた。
「ああ、キーリィは私を嫌いになったんだろうか」
「それはないと思いますが。多分」
「たぶんー!?」
 主の不安を微妙に煽っておいて、ジアンは話題を変えた。
「それよりグレーン様。貴方が連れ込んだ賊ですが」
「賊って」
「賊でしょう」
 そう、望まぬ客人である。いくらグレーンが連れてきたとはいえ、怪しすぎる4人組。警戒しつづけるジアンは、彼らのおかげで明け方からずっと不機嫌きわまりないのである。
 対する主は、乳兄弟の態度に軽く肩をすくめた。
「違うと思うけど。で、彼らがどうした?」
「一人起きたようです。お会いになりますか」
 グレーンの瞳が輝きを増したのを見て、ジアンは再度肩をすくめた。

(続く)

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Seavel Fragmentの#26も途中だというのに、突発的に書き始めちゃいましたよ捧花の夢。
グレーンさんとキーリィさんが急に頭の中でイキイキ動き始めたせいですよ(ジアンさんはまだ押しが強くない)。

全然ストックがないので、次の更新はいつになるかわかりません先生!(今回のだってストック無しからほぼ一発書きですが)
posted by 綾野忍 at 23:16| Comment(0) | 捧花の夢

2007年06月10日

捧花の夢/幕間「紗幕」

 先日の侵入者の騒ぎがあってからというもの、誰もがピリピリしていた。今日も警備が倍のままで、正直息が詰まる。
 長も不機嫌きわまりなく、周囲は困る一方だった。
 ……もっとも、あの騒ぎ以来誰よりも不機嫌なのは、どうやらこの奥に守られた者のようだったが。
 青年は社の最奥、目的の場所へ静かに歩を進める。
 いつもはこの時間ともなれば、社のこの区域は灯りが落とされ完全に人払いがされているのだが、さすがに今日はそうではなかった。
 とはいえ、灯りがついているのは廊下の要所要所だけで、明るさはかなり抑えられており、暗いことには違いない。
 最後の角を曲がったとき、低く厳しい誰何の声と警戒の空気が叩きつけられた。
「何者! ……と、あなたですか」
 声を潜めているのは奥に眠る者を起こさぬためだろう。警衛の女はこちらの顔を確認して胸をなで下ろし、詫びた。昨日今日と何度もあったことなので、いまさら青年は反応しない。女もそれはわかっている。
「通すよう言われています。どうぞ」
 女に黙礼して、青年は廊下から暗い室内に入った。
 そこはこの時間、控えの間と呼ばれていた。ガランとしたその空間は、詰め込めば村人全員がここに入ることもどうにか可能であろうくらいに広い。
 廊下のちいさな灯が照らし出すには遠すぎるその奥に、幾重もの紗幕がかかっていた。その向こう側は見て取ることが出来ない。だが、目的の人物はここにいるはずだ。
 足音を立てずに近寄り、幕の数歩手前で跪く。
「起きておいでですか」
 紗幕の奥に向かって、青年は言葉を発した。
 向こうにいるのは、彼が仕える者であり、彼らに仕える者。青年は頭を深く下げたまま、返答を待った。
 連絡が来次第知らせるようにとの命だったから、深く寝入っていることはあるまい。
 案の定、すぐに反応があった。起き上がったらしい衣擦れの音は彼の問いへの返答代わりだ。
 青年は短く告げる。
「連絡が入りました。──逃げられた、と」
 ややあって、奥から声が発せられた。
「どこへ逃げた、と?」
 若い女の声である。幼さはない。落ち着いた、夜の闇に染みいる声。
「かの地から東へ跳んだらしい、と聞いておりますが……何せ転移による移動で、痕跡も散らされているそうですから、正確な位置を知るにはもうしばらく時間がかかるかと」
 青年は恐縮して身を硬くした。
 だが、勘気をこうむることを覚悟していた青年の耳に届いたのは、機嫌の良さそうな「それは上々」という一言だった。
 思わず瞬き、顔を上げる。こちらから紗幕の向こうは見えないが、それでもそこにいるであろう者に視線を向ける。不可解そうな青年の視線を感じたのだろう、奥の女は続けた。
「戻ってこないのであれば、それはそれで好都合というものでしょう。違って?」
 その声は暗い笑いを孕んで、控えの間に響いた。
「は……それは、確かに」
 次善ではあるが、悪くはない。彼らにとって最善でもないのだが。
「続けて追わせなさい。吉報を待っている、と伝えて」
「承知いたしました」
 青年は深く頭を下げた。

(第2話に続く)

おおう
posted by 綾野忍 at 13:52| Comment(0) | 捧花の夢

2007年05月27日

捧花の夢/厄介事の種6(4)

「セルエグといったな。それはどこだ」
 ラーガットは脳裏に地図を思い浮かべ、ごく単純に説明した。
「ここからかなり東、セーヴェルの北東部にある都市だ。馬車でもゆうに数日かかる。とりあえず、海岸線に沿ってとにかく東へ」
「わかった。借りるぞ」
「う……」
 身体と意識に感じる違和感。何かが自分の中に入り込んでくるような錯覚……いや、現実。シェルプスがまた同調を図っている証だろう。気絶できれば楽だが、今回はそうもいかない。どうにか自分の意識を保つ。
「とにかく跳べるところまで跳ぶ。移ったらすぐに仕掛けを頼む」
 シェルプスの声がぶれて聞こえる。耳から入ってくる音と内面からもたらされるそれが共鳴して気持ち悪い。
(ぐ……ぁ)
 頭がひどく痛む。普段使わない部分が使われている感じがした。
 シェルプスの意志が、ラーガットの右手に風陣、左手に水陣を描かせる。自分の意志でなく動く腕の筋肉が気色悪く思えた。
 さらに、自分の口が勝手に詠唱を紡ぐ。
「『二陣展開。望みの地を我が前に示せ……開扉』」
 途端、さらなる痛みがラーガットを襲った。本来自分には使えないはずの術を発効させることによる代償だ。その痛みに忘我できれば楽だが、後のことを思えば許されない。遠のきそうになる意識を必死でつなぎ止める。
(……っ!)
 と、その痛みの先。繋がらないはずの部分が繋がれ、開かれるはずのない道が力ずくで開通させられ、見ることを禁じられているはずの部分を否応なく見せられているような感覚が──
(知見法……?)
 ラーガットの脳裏に浮かんだのは、塗りたくられた緑の中に走る一本の白い線。だだっ広い草原を走る白い道を上空から見ているのだ、とすぐに気づいた。おそらくそこへ転移するつもりなのだろう。それとかぶるようにして迷路のような路地が見えるのは、おそらく敵の状況を知るためだろう。自分の居場所も追っ手の位置も、言われずとも何故かわかる。
(近い!)
 あと少し歩けば、向こうはこちらを発見できる。いや、知見法が発効したことで完全に居場所を特定されたらしい。人影の速度が上がった。
(はやく!)
(わかっている! そっちも転移後の術を組んでおけ!)
 ラーガットの声にならない声にシェルプスの応えが返ってくる。
 言われるまでもない、とラーガットはさらに集中した。全身に渡る痛みの中で転移後に張る結界の構成を考えるのはきつい。
(結界にするなら、移動可能なものにしておけ)
 そんなシェルプスからの要求が声でなく意識を通じて伝わってきて、よけいに負荷がかかる。
 その上、同調しているせいだろうか。シェルプスがまだ陣を描いてもいない、組んでいる最中の転移術の術式構成まで意識に流れ込んでくる。あまりに精緻で、細かいところは認識しきれなかったが、風の力を借りて素速く移動し、地の力を借りて位置を確実にするよう二重の陣を敷いていること、この全員が離れぬようがっちりと括っていることは把握できた。
 ──問題はそこからだった。
 理解できたとしても使えないはずの術式。それが、陣を描く前に自分を通して精霊たちに提示されたのを感じて、ぞわりときた。
(手続きの順序がおかしい……っ)
 驚いている暇もなく、自分が為したならば精霊たちから拒絶されるはずのその術式が受理されるのを感じた。代償だろう、さらに負荷が増す。
(……っ!)
 痛みをこらえるためにうずくまろうとしたが、身体の支配権は完全にシェルプスに移っている。身体は直立したまま。
 脳裏で展開されている頭上からの視界によれば、間もなく追っ手が目の前に現れるはずだ。その距離、あと十歩分。その焦りからラーガットは叫びそうになったが、当然自分の意思では声も出せない。
(はやくはやくはやく!)
 自分の両腕が陣を描くのを、ラーガットは痛みの中で感じた。さらにその先シェルプスが何をやるか解ってしまい、おののいた。
 痛い。きつい。嫌だ。よりによって負荷の大きい簡略詠唱!
 シェルプスが、最後の一押しとラーガットの口を開く。肺から空気が押し出され、声帯が震えた。
「──『転移』!」

(7へ続く?)


でもって。
posted by 綾野忍 at 00:35| Comment(0) | 捧花の夢

2007年05月26日

捧花の夢/厄介事の種6(3)

 速度が落ち始めたエディルを励まし追い立てるようにしながら、ラーガットは先を行く叔父を追いかけ、さらにいくつかの角を曲がり──なんだか嫌な予感がした。そのまま次の角を曲がったところで、叔父の背中にぶつかった。
「っと、叔父さん?」
「失敗した……」
 苦々しげなアールスの声。その肩越しに正面を見やれば、典型的な行き止まりだった。三方の壁は高く、足場になりそうなものもない。感じていた嫌な予感はこれだったのだ。思い返せば、最後のいくつかの曲がり角は三叉路や十字路ではなく、否応なくそちらに曲がらざるを得ないものだった。つまり、袋小路という奴だ。
「悪い、ラグ。暗いんで、どこかで、間違えた、らしい」
 息を整える叔父。よかれと思ってやったことだ、自分ではここまで来られたかどうかも分からないので、責めるわけにはいかない。
(どうする、一つ前の角まで戻るか)
 と叔父に提案しようとする横から、シェルプスが冷静な報告をよこす。
「近づいてくる気配がある。正確に追ってきているぞ」
「……っ」
 自分の鼓動と呼吸の音がうるさくてたまらなかった。
「あと、どれくらい」
「おそらく角五つ分というところだろう。こちらの待ち伏せを恐れてか歩みは幾分慎重になったようだが」
「どのみち、戻ると真っ正面から相対か……!」
 ラーガットの呟きに、叔父とエディルの表情が硬くなった。
「風精の力で上まで飛ぶ、というのはどうだ」
「そういうのは、できない。……くそっ」
 青年は幽霊の意見を却下した。こういうとき、ラーガットは自分の能力の偏り具合が悲しくなる。
 叔父が声をかけてきた。
「ラグ、エディル。何か手はないか?」
 妹は息を弾ませたまま「思いつかない」と首を振った。
「お兄ちゃんは?」
「何かって、逃げの一手しかないだろ……だけど、この位置じゃ、どうしようも……」
 ラーガットは目を伏せた。実のところ、もう一つ案があるにはある。シェルプスに自分の身を使わせれば、もしかしたら何とかなるかもしれない。ラーガットの身体を使って精霊たちを使役し、夕方の追っ手を倒したのはこの幽霊なのだから。
 あるいは彼らを倒さずとも、先ほどシェルプスに風を使役させて壁を上がることができれば、とりあえずは窮地を逃れられるかもしれない。だが、その先もずっと逃げ続け、隠れ続けなければならない。それは可能だろうか。
(それに、気力体力の消耗を考えるとな)
 今回はどうにかなるかもしれない。しかし今後もこの間隔で追っ手が来るとすれば、到底さばききれない。回復よりも先に体力が尽きるのではないか。
「ラーガット。もう一度、私に身体を貸さないか」
 だから、シェルプスのその提案にも彼は首を横に振った。
「夕方みたいにあんたが片付けるって? それとも、さっきあんたが言ったように上に跳ぶのか? それは俺も考えたけど、後のことを考えると得策じゃない」
 だが、シェルプスはその答えを予想していたらしい。
「そうだな。だから、今度は別の策だ」
「別の策?」
「転移でここから離脱するというのはどうだ」
 ラーガットはポカンと目を見開いた。
「転移、って……あんたにできるのか?」
 術師が使う術は古来より二術、あるいは五法に分類される。五法の一たる転移法は開扉術の一つに位置づけられているが、古来から非常に難易度が高いことでよく知られている。その使い手は決して多くないはずだ。
 しかし、幽霊は頷いた。
「何度も続けては無理だが、一度なら確実にやってみせよう」
 そう言うからにはよほどの自信があるのだろう。
「こちらの後を追おうにも、転移の後を追うのは容易ではない。もっとも不可能ではないが、それでもここに居続けるよりは猶予が出来る。なし崩しに逃げているより、対策も立てやすくなるはずだが」
「……それは、たしかに。だけど」
「そうだな、お前がひどく消耗することは避けられない。さらに言えば、跳んだ後も安全とは限らないから、向こうに出た後でもう一つ仕掛けをしなければならないが。……どうする?」
 迷いは一瞬。やるしかない、と覚悟を決めた。横でエディルからシェルプスの言葉を聞かされているアールスも頷く。それで決まった。
「向こうでの仕掛けというのは?」
「こちらの気配を絶つか散らすかするべきだ。私がやってもいいが」
「それくらいの術なら、俺がやる。……まさかそのくらいの体力は残してくれるんだろうな」
 ラーガットにも可能な術であるし、夕方の痛みを思い出せば、少しでも負担を軽く済ませるために早く同調を解きたかった。シェルプスもそれはわかっているのだろう、一つ頷いて了承した。
「善処しよう」
「善処かよ!」
「自分はともかく他者をも転移させる、しかもお前を通じて術を発動させるのだ。発動の確約はできてもどれだけ力を温存させられるかまで確約はできん」
 反論できなかった。
「問題は転移先だ。逃げる先のあてが私にはない。全く不案内でな」
 ラーガットは素速く返した。
「セルエグへ行こう。助けになってくれそうな奴がいる」
「助けって、ナレージュさんのこと?」
 エディルが口を挟んだ。
「ああ、あの人なら多分手伝ってくれると思う」
 エディルは頷いたが、シェルプスは慎重だった。
「その人物は信用できるのか?」
「あの人が信用できなかったら、俺は行こうとは言わない。少なくとも、一番頼りになる人だ」
(ちょっと変な人ではあるけどな)
 変わったところがある人物ではあるが、それは信頼できないということではない。
「……どのみち私には代案はない。期待するしかあるまいな」
 それがシェルプスの答えだった。

(続)
あと一回かな
posted by 綾野忍 at 03:01| Comment(0) | 捧花の夢

2007年05月08日

捧花の夢/厄介事の種6(2)

 このあたりは昔から無計画に建物が次々と建てられ、しかも風景が似通っているため、夜間ともなればよく知っている者でなければ迷う。奥に入り込めば追っ手を攪乱できる、はずだ。ラーガットには夜の路地に関して自信がないが、叔父は自分より長くこの街で生きてきた分だけ知識も経験もある。それを信頼し、ラーガットは黙って叔父と妹を追いかけた。
 そうして、いくつ目かの角を曲がった。
「まだ、追って、きてるか?」
 息が上がり始めた叔父の問いに、シェルプスが答える。
「来ている。距離はいくらか開いたが、向こうは何か術を使っているな。追ってくる経路が正確だ。安心できるものではない」
 ラーガットが前方を走る叔父にそれを伝えると、舌打ちが聞こえた。エディルも「いつまで、走って、れば、いいの」とぼやく。ラーガットも二人と同じ気持ちだ。
 路地の狭さと曲がり角のおかげで、攻撃を受けることはまず無くなった。しかし、さて正直どうしたものか。ずっと走り続けるわけにもいかない。そんなのは無理だ。しかし、相手は術師。今も的確にこちらを追ってきているようだし、簡単には逃げ切れない。どこかで迎え撃つにしても、どこでどうやって。それに、迎え撃つといっても勝ち目はあるのか。
 ふと子どもを抱え直そうとして、ラーガットは左袖が重く濡れているのに気づいた。とたん、それまで意識されなかった血の匂いが鼻につく。
(さっきの傷……そうか、この血が)
 追ってくる相手が術師である以上、この血はいい情報源になってしまっているだろう。これだけの量があれば、風精に頼んで匂いを追えば場所が特定できる。
 強く子どもを抱いていたため半ば麻痺していたのだが、一度痛みを意識してしまうとやけにその痛みが強く感じられた。軽いとはいえ子どもを一人抱いて駆けていられるくらいだから傷はそう深くはないはずだが。
 ラーガットはせめて撹乱しようと術を編んだ。
「『風陣展開。追う者たちに無軌道な風を。辿る糸を掻き乱せ──開扉』」
 小さく陣を描いたその指先から、解呪の意志を宿した風が生まれた。ヒュオ、と風音を残して路地を行く。
(だけどこんなの、わずかな時間稼ぎにしかならない……)
 こんなふうに追われるなんて状況、これまでに経験したことはない。だから今の術も付け焼き刃で術構成が粗い。血の匂いをどれだけ散らせたか、追っ手の術をどこまで解呪できたか。

(続)


まだまだ走るよ
posted by 綾野忍 at 01:23| Comment(0) | 捧花の夢

2007年04月30日

捧花の夢/厄介事の種6(1)

 外に飛び出した瞬間、何か空気の幕を通り抜けたような気がした。
(結界……遮音結界か!)
 ラーガットは周囲に目を走らせた。あれだけの音がしたのに近所から誰も出てこない。窓から顔を出す様子すらない。近所の人を巻き込まずに済むならそれにこしたことはない、と心の隅でわずかに安堵する。
「走れラグ!」
 叔父の声に従って、子どもを抱え直す余裕もなく室内履きのまま走り出した。
 夜道は暗く、漏れる周囲の家の灯りもごくわずか。先頭を行くのはアールス、続いてエディル、最後にラーガットが子どもを抱えて駆ける。
(叔父さん、警官詰所に行くつもりか)
 ラーガットに否やはない。自分でもそうする。詰所には術師の警官も数人はいたはずだ、それなりに援護してもらえるだろう。
 だが、一区画も行かないうちに予定は頓挫する。
 シェルプスが警告した。
「追ってきた」
「人数はっ」
「三人だな。表にいたのがそのまま家を通り抜けてきたらしい」
 ラーガットに答えを返すと、シェルプスは三人を追い越してかなり前まで先行していく。
 人通りのない夜道を走る二組。奇妙な静けさと真剣さがそこにあった。
 ラーガットは思案する。まだ追っ手との距離はある。子どもは軽いが、それでも抱えて走っていてはいつか追いつかれるだろう。
(どうする)
 ふと、背後で風精が鋭く動く気配を感じ、わずかに遅れて耳元で音がした。かすかな痛みを右の頬と左の二の腕に感じる。そこからたらりと垂れる血の感触……!
(なっ──!)
 ラーガットの背筋が震えた。この追っ手たちは明らかに、夕方の奴らよりも積極的だった。ラーガットたちを取り押さえるのに怪我させることも辞さないらしい。いや、今の術も当たり所が悪ければ……たとえば首に当たっていたら。
(殺す気かよ……!)
 再び背後で術が発動する。冷たい風が、抱きかかえた子どもを覆う毛布を切り裂き、その下にある白い頬に一筋の赤を走らせる。
「……っ!」
 追い打ちしてくる気配を感じ、ラーガットは咄嗟に解呪論理を組み立て放った。
「『開扉』!」
 陣を描くこともなく、振り返りもせず、詠唱も極端に削って最小限。それでも何とか発動した術は、しかしギリギリだったらしく、すぐ背後でバフッという間の抜けた音がした。顔が引きつる。
 もう一度、今度は子どもを左手で抱えて右手で一つだけ小さく陣を描く。振り返る余裕はない。
「『展開、開扉』!」
 今度はやや遠いところで音がした。うわっ、と慌てた声が聞こえる。どうやら追っ手の間近で解呪が発効したらしい。
 そこへ、先行していたシェルプスがふわりと戻ってきた。
「この二つ先の角に二人、待ち伏せだ」
「っ……! 叔父さん、すぐそこの路地に入って!」
「あん!? ──わかった!」
 察したのだろう、叔父はラーガットの指示に従った。エディルを追ってラーガットも路地に駆け込む。
 そこを抜けて広い通りへ。目についた路地に再度入る。
「まだ追って、きてるのか?」
「来ている。合流したな、五人になった」
 シェルプスの返事に、ラーガットは唇を噛む。
 もう警官詰所には向かえない。遠ざかってしまった。少なくとも最短距離を行くことは不可能だ。叔父もそれを分かっているのだろう、追っ手をまくことを意図した逃走経路を選んでいる。広くまっすぐな道よりも、狭くて曲がり角の多い道を。

(続)


つぶやく。
posted by 綾野忍 at 02:52| Comment(0) | 捧花の夢

2007年04月01日

捧花の夢/厄介事の種5(6)

「この子を匿ってもらえるのなら、それはありがたい」
 シェルプスの声は真剣で、羞恥するラーガットの気分を一瞬で引き戻した。
「それに、……こういう言い方は失礼だが、君では駄目だと言ったとて、代替案があるわけでもない。君に頼ることにしよう。頼む……ただ」
「ただ?」
 何か条件があるのだろうか、とラーガットは先をうながす。
「依頼ついでにもう一つ頼んでもいいだろうか」
 何を、と尋ね返そうとしたとき、玄関の戸の開閉音がした。次いで、ドタドタと駆けてくる音。何かと思えば、居間に顔を出したのは先ほど出たばかりのアールスだ。
「叔父さん、どうしたの?」
 エディルの問いに、アールスはひどく真面目な顔で答えた。
「なんだか、後をつけられているようでな」
「つけられてる……?」
「まいてやろうとそこの路地裏に入ったら、警官が二人倒れてた」
 ラーガットは思わず息を呑んだ。
「丸腰じゃ心許ない。ラグ、杖か何かないか。ただの棒でもいい」
「俺の部屋の隅にイジェールが置いていった杖があるけど」
「それ借りるぞ」
 ラーガットの部屋に向かう叔父をエディルが追う。ラーガットは状況を確認に玄関へ行こうときびすを返したが、そこへ頭上から声が降ってきた。シェルプスだ。
「屋根の上から見てきた。玄関の外はもう押さえられているぞ」
 足を止めて幽霊を見上げた。
「……なんで」
 シェルプスは宙に浮いたまま腕を組んだ。
「さてな。彼が何かしたのか、それともこちらの追っ手か」
「順当に考えたらあんたたちの関係者だろ」
(ああ、やっぱり厄介事の種……)
「どうした?」
 杖を手に戻ってきた叔父が問う。状況を説明すると顔をしかめた。エディルも顔をこわばらせ、叔父の腕に抱きついている。
「どうする?」
 アールスの問いにシェルプスが提案した。
「あの子を裏へ。あちらはまだ人がいない」
 それをうけて、ラーガットが叔父に言う。
「裏から出て警官詰所に行ってみよう。そっちならまだ人がいないそうだ」
 叔父は首をかしげたが、すぐに得心したようだった。
「さっきの幽霊さんの情報か。よし、急ごう。音は立てないように」
 アールスとエディルは靴を手に裏口へ。ラーガットはすやすやと眠っている子どもを長椅子から抱きかかえた。
(そういえば種って発芽して生長するものだったなあ)
などと嫌なことを思いながら、自室に入る。
 そのとき、シェルプスの呟きが聞こえた。
「来るぞ」
「何?」
 爆発音とともに家が揺れた。玄関が術か何かで破られたのだ。爆風とまではいかないが、埃混じりの熱い風が吹き付けてくる。
「そんなめちゃくちゃな!」
「急げ!」
 外に出たアールスがラーガットを呼ぶ。青年は子どもを自分の肩により掛からせるようにして片手で支え、もう片手で傍にあった小さな荷物をひったくるようにして裏口を飛び出した。

(6に続く)


長い夜の始まり、でした
posted by 綾野忍 at 16:08| Comment(0) | 捧花の夢

2007年03月30日

捧花の夢/厄介事の種5(5)

 妹と一緒に叔父を見送って居間へ戻ってくると、それにしても物騒な案件だ、とラーガットは髪の毛をかき回した。
「なんだか厄介事の種を抱え込まされた気もするけど、仕事じゃ仕方ない」
 そうして、子どもと幽霊というおかしな二人組に向き合った。正確には、幽霊に話しかけた。
「シェルプス、といったな。イジェールは俺にこの子を匿ってくれって言ってきたが、あんたはどうしたいんだ」
「……匿ってくれるのか」
「それが俺の仕事になったらしい。あんたがそうして欲しいというのなら、そうしよう。その子からの拒否がなく、イジェールからの依頼の撤回がない限りは、その子を守れるよう力を尽くすよ。ただし、あんたが俺じゃ駄目だというなら話は別だ」
 依頼主はイジェールだが、隠し通される対象の意向を無視は出来ない。とはいえ、子どもはいまだ眠っているから、その守護をしているシェルプスの意向を聞いておく必要があった。
 そのシェルプスはしばらく黙って解呪師の青年を見つめていたが、小さく問い返してきた。
「信用していいのか?」
 ラーガットは真っ正面から幽霊の視線を見返した。
「仕事であるからにはきっちりやらせてもらう。……俺の本業からずれているから成果の保証はできないけど、それでよければ」
「お兄ちゃん、前半は格好いいのに後半弱気すぎ」
「……出来ないことは出来ないって言っておかないとあとで面倒なんだよ」
 ラーガットが口にしたのは正論だったが、後半の台詞はシェルプスから少し目をそらしていたので、実際格好悪いなあという自覚はあるのだった。
(続)


もうちょっとー
posted by 綾野忍 at 01:30| Comment(0) | 捧花の夢

2007年03月21日

捧花の夢/厄介事の種5(4)

「そのお嬢さんがらみの仕事。前金も預かってるぞ」
「また勝手に仕事を受けたのかよ!」
 思わず椅子から腰を浮かした甥に、叔父はひらひらと手を振る。
「いつもたいていそうだろ。俺が受けた時点で決定なの。しっかりやれよ、ラーガット」
 ラーガットは詰まった。叔父が受ける仕事は大口だったり報酬が大きかったり面白かったりすることが多く、いい思いをさせてもらったこともあるのだ。
 乳茶を口に含んで味わう叔父をじと目で睨みつつ、ラーガットは腰を下ろした。
「具体的に、どんな仕事」
「あの子どもを隠し通してくれってさ」
「……解呪師の仕事じゃないだろ、それ」
「頼まれていたことはもう一つある。その子にかけられている封印を解いてもらえないかとさ。負担を減らしてやってほしいとか何とか言ってたぞ」
「ああ、そりゃ寝たままにもさせておけないから解くつもりだけど」
「じゃあ契約成立ということで、ほいこれ。イジェール君からの預かり物だ」
 叔父が懐から何かを放ってよこした。ラーガットはあわててそれを掴み取る。
「宝石? ……あ、これ、解呪用の鍵だな」
 親指の先ほどの大きさの赤い透明な石だった。灯りに翳すと淡い赤色が手にまとわりつくかのようだ。表面にいくつか精霊語が刻んであり、それが石の奥で深い色を纏って揺れた。
「さっき言ってた、抜き取られてるってやつのこと?」
 戻ってきたエディルがラーガットの背後からのぞき込んだ。
「あとでちゃんと確認しないといけないけど、まあ間違いない」
 意図して抜き取ったのだろう術の構造の一部が、この宝石に転写されていた。重要ではないが、解くには必要な部分があらかた込められている。
「これならそんなに手間もかけずに解けるな」
 解呪師でなくともある程度の素養がある者なら容易に解呪できるだろう。力の性質を考えれば、聖師でも十分に可能かもしれない。
「ナレージュに相談すると良いかも、とイジェール君は言っていたが」
 叔父が出した名に、ラグはわずかに首をかしげた。
「そこまでのことじゃないよ。あいつもこれだけの鍵を作っておいて大げさだな」
「そうか。じゃ、あとは頼む。俺はそろそろ店に戻らないと」
 立ち上がって伸びをする叔父に、ラーガットは声をかけた。
「まだ仕事が?」
「ああ、昼の商談が意外と長引いたんで、いろいろずれ込んでいてな」
「もう行っちゃうの?」
 やや不安そうなエディルの頭を撫でて、アールスは肩をすくめる。
「あんなことがあった後だ、本当ならここにいてやりたいんだが。一応、警官たちが見回りを強化してくれているはずだが」
「大丈夫。むしろ、何か手伝うことは?」
「馬鹿。お前はお前の仕事をしろよ、店のことはいいから」
 アールスに髪をくしゃりとかき回され、ラーガットは頷いた。子ども扱いされているようで気恥ずかしかったが、叔父の言うことももっともだ。
「わかった。明日は店に顔を出すから」
「おう、何か必要な物があったら書き出しておけよ。セーンでの仕事の報告も明日でいいぞ」
「……ごめん、忘れてた……」

(続く)


さてさて
posted by 綾野忍 at 22:39| Comment(0) | 捧花の夢

2007年03月19日

捧花の夢/厄介事の種5(3)

「イジェールが残していった封印が、どれもあいつにしては珍しい構成をしてたから」
「ふうん?」
「ここに来たときもあいつは一人だったっていうし、やっぱり腕を上げたってことなのかな」
「ラグ」
「ん?」
「イジェールがここに来たときも一人だった、って何でわかるんだ?」
「あ」
 それは当然シェルプスから聞いたことなのだが、アールスには見えていないはずである。
 ラーガットはどう説明したものかと悩み、いや、悩む前にエディルが口を挟んでいた。
「あのね、幽霊さんから聞いたの」
「……幽霊さん?」
「シェルプスさんっていってね、あの子を守ってるんだって」
 アールスは瞬いた。
 さてどんな反応をするか、とラーガットは叔父の様子を見ていたが、その叔父はあっさりと「そうか」などとのたまった。
「今もいるのか?」
「長椅子のところにいるよー」
「それなら、香くらいは供しないとダメだろう」
 そう言うとアールスは隅の棚に向かい、中をかき回し始めた。その香とやらを探しているらしい。ラーガットとエディルは顔を見合わせた。
「叔父さん、驚かないんだな」
「ああ、そうか。普通は驚く場面だなあ、これ」
 苦笑混じりののんきな声が返ってくる。
「お前たちのお祖母さんがまだ元気だった頃は日常茶飯事だったからな。礼を失するなとよく怒られたもんだ」
 父方の祖母、つまり叔父の母は聖師だった。しかも、死を司るサルヴァに仕える聖師だったはずだ。
「俺には見えないってのに、無茶言ってたよなあ母さんも」
 アールスは昔を回想しているのか、懐かしそうな声をしていた。
「……幽霊がいるのが日常茶飯事ってどんな家だよ」
 ラーガットの呟きに、「まったくだ」と叔父は肩をすくめた。
「ああ、あったあった。……うん、湿気てないな。母さんが使っていたものだから古くて申し訳ないが、質は良いはずだ」
 棚の奥からアールスが取り出したのは、小さな白い香炉と青色の香。珍しがってあれこれ尋ねてまとわりつくエディルをあしらいながら、叔父は手際よくランプから火を採って香に火をつけ、部屋の隅に置いた。すぐに漂ってきたほのかな青草の香りに、ラーガットは深く息を吸いこんだ。
「古い作法をよくご存じだ」
 聞こえてきた幽霊の声にラーガットがそちらを見れば、シェルプスがわずかに相好を崩していた。どうやらお気に召したらしい。
「喜んでるみたいだよー」
「それなら良かった。見えぬ者ゆえの不作法はこれで勘弁していただきたいね」
 戻ってきて腰掛けたアールスは長椅子に向かって軽く首を下げ、食事を再開した。エディルはまだ部屋の隅で香炉をしげしげと見ている。
 ラーガットはあっけにとられた風に叔父を見やった。
「……叔父さんって、剛胆というかなんというか」
「褒めても何も出ないぞ」
「むしろ呆れてるんだけど」
「ひどいな、ラグ」
 叔父は顔をしかめたが、さほど気分を害した様子もなく言葉を続けた。
「それはそれとして、イジェール君の話の続きだけどな」
「うん」
「仕事の依頼が来てる。受けておいたからよろしく」
「は?」

(続く)


ひさびさですね
posted by 綾野忍 at 13:27| Comment(0) | 捧花の夢

2007年02月20日

捧花の夢/厄介事の種5(2)

 そう言ってアールスは居間へと歩いていき、エディルもそれを追う。ラーガットも寝台の上のステーレットを抱き上げて続こうとし、ふと振り返った。
「あんたも来るだろう?」
「当然だ」
 ふわふわと灰色の衣がラーガットの横を通り過ぎる。
「他の人には見えていないんだな」
「サルヴァの聖師のように異世の者の気配に敏感な者ならともかく、それ以外の者には普通見えまいよ」
 お兄ちゃん早く、と急かす妹の声にラーガットは軽く返事をし、居間に移動した。
 座り心地の良い長椅子にステーレットを寝かせると、「この子は私が守る」とばかりにシェルプスが降りてきて幼子の傍らに座った。いや、肉体はないわけだが、ちょうど座っているように見える。
 ラーガットはきびすを返し、叔父と妹が食事の用意を進める食卓に歩み寄った。
「黒麦の蒸しパンか」
「お前ら、これ好きだろ?」
 厳密には、冷ました蒸しパンに野菜や焼肉、揚げた魚など様々な具材を挟んである軽食だった。安いが手軽で美味い。夕食には少し軽すぎるが、重いしっかりした食事をする気分でもなくなっていたのでちょうど良かった。
 ラーガットは台所に行き、叔父が手際よく沸かしていたお湯で乳茶を淹れた。三人分の茶碗を盆に載せて居間に戻ると、すでに席について食べ始めていた叔父と妹に続いた。
「いやはや、お疲れ様」
「全くだ」
 叔父のねぎらいの言葉に、ラーガットは肩をすくめた。
「で、査官にはあの子をイジェールの遠い親戚って言ってごまかしておいたけど、実際あの子はどこの子なんだ? あいつの子どもってことはないよな」
「つまらん冗談を言うな、お前」
 叔父は鼻で笑った。アールスの隠し子、というもっとつまらない冗談も考えていたのだが、言わなくて良かったとラーガットは思った。
「じゃあ本当に親戚の子?」
 エディルの言葉にもアールスは首を横に振る。
「それがな、どこぞの禁足地で監禁されてたところを攫ってきたらしい。場所を言うのはまずいからってどこかは教えてくれなかったがな」
「……は?」
 パンにかぶりつこうとしていたラーガットは間抜けな声を出した。
 禁足地とは、普通、定められた者以外の出入りが王家によって禁じられている地域のことを指す。そこに居た子どもを外に連れ出した、とはどういうことなのか。攫ってきたという表現をしているということは、無断で連れてきたということだろう。場所も言えないというのなら、無断で侵入したに違いない。
 ラーガットが卓に肘をついて額を押さえながらそっと長椅子の方に目をやると、シェルプスがじっとこちらを見ていた。表情からは何も読み取れない。
 だが、叔父の言うことが彼の知る事実と異なれば、もっと不機嫌になるなり否定するなりするだろう。
(厄介事確定かな、これは……)
 ラーガットはパンを一口かじるとヤケ気味に咀嚼し飲み込んだ。
「イジェールの奴、旅しながら何してやがる……なんでまた、連れてきたんだ」
「義憤に駆られた、ってなことを言ってたな。詳しいことは話していかなかったが」
「……あいつ」
 ラーガットは頭痛を感じて親指で右のこめかみを揉んだ。
「やっぱりイジェールさんってそういう趣味なの?」
「エディルもそういう発言はやめろって前から言ってるだろう」
「はあい」
 叔父に軽く諫められて、エディルは笑う。どうやら叔父と妹の間では日常茶飯事のようなことらしい。
 ラーガットはもう一つ気になっていたことを尋ねた。
「叔父さん、あいつが来たのは何日前だ?」
「ガールから聞いていないのか。三十日だったから、三日前だな」
「あ、ガールさんちにお泊まり始めた日だ。急に叔父さんが泊まらせてもらえって言ったの、そのせい?」
「ラーガットが帰ってきて部屋の封印を解くまでは放っておくようにとイジェール君から頼まれていたから。黙っていて悪かったな、エディル」
 エディルはむう、と唸る。謝られては仕方がない、などと呟いているのが聞こえた。
「……なあ、叔父さん。本当にイジェールだったのか、それ」
「おう、本人だったぞ」
「術で顔を変えていた可能性は?」
「うちの店に仕掛けてある諸々の仕掛けも反応してなかったが。……何でそんなことを聞く」

(続)


難産続き
posted by 綾野忍 at 01:07| Comment(0) | 捧花の夢

2007年02月13日

捧花の夢/厄介事の種5(1)

 アールスは短く刈った黒髪をガシガシと掻き、部屋を見回した。
「これはまた派手に傷つけたもんだなあ……」
 そして部屋のほぼ中央で縛られ倒れている男たちに視線が移る。
「……これはいくら何でも縛り過ぎだろ」
「俺がやったわけじゃない」
「だって怖かったんだもん」
 即座に返答する兄妹に叔父は肩をすくめた。
「お前かエディル。……で、こいつらは何だ。押し入り強盗か?」
「似たようなものかな」
 ラーガットの返事にエディルも頷く。
「部屋に子どもがいただろう。無事か?」
「無事だよ。そこで寝てる」
 叔父はちらりと寝台を見、ホッと息をついた。
「やっぱり叔父さん、イジェールから何か聞いてたのか。叔父さんに話を聞いてから帰ってくるべきだったな」
「その話は後にしよう」
 叔父は倒れている男たちをあごで示して言った。
「ともかくまずはこいつらを官憲に引き渡そう。査官を呼んで来るから待ってろ」


 そうして叔父に連れられてきたのは査官が一人と警官が二人だった。警官たちは「いやこれはまた派手にやりましたねえ」とか「お嬢ちゃん、がっちり縛ったなあ」などと笑って言いながらてきぱきと仕事をした。
 査官は奇蹟を行使できる聖師でもあったようで、起きてしまうと面倒そうだと言って男たちを神の力をもって眠らせ、さらに術の行使を封じる手錠をかけさせた。ぐったりしている男たちを警官たちが担ぎ上げて運び、外の馬車に放り込んでいく間に、査官はラーガットとエディルから簡単に事情聴取をし、全員があっという間に去っていった。
「いやー速かった速かった。さて、飯にしよう」
 警官詰所の近くにある屋台の包みを手にそう提案するアールスを見て、ラーガットはハッとした。
「そういえばガールさんに夕飯持って行くって言ったんだった!」
「ああ、心配するな。これと同じのを伝言付きで届けるよう頼んできた」

(続)


出たとこ勝負
posted by 綾野忍 at 01:24| Comment(0) | 捧花の夢

2007年02月05日

捧花の夢/厄介事の種4(4)

 机から離れて寝台をのぞきこんだエディルが首をかしげた。
「なんで?」
「解呪に必要な鍵がない、というか抜き取られているのかな、これは。……ったく、あいつこんなこといつの間に出来るようになったんだ」
 解呪師の性というものだろう、子どもにかけられた術の解呪論理を検討し始め悩み出したラーガットに、シェルプスが声をかけた。
「一つ聞きたいことがある」
「何だよ」
「なぜお前たちはこの子をかばった?」
 ラーガットは振り返って幽霊を見上げた。エディルも首をかしげる。
 シェルプスは続けた。
「この子をあいつらに渡してしまえば楽だったろうに」
 ラーガットの返答には時間がかからなかった。
「まあ、咄嗟に、だな。いきなり人の部屋に凶器を持って乗り込んできたやつに渡してしまうのは目覚めが悪そうだったし」
 言葉を選びながら、とつとつと答える。
「それに、あいつがこの部屋に入れて置いていくってことは、守ってくれって意味だろうしな」
 うんうん、と妹も横でうなずく。
 幽霊はしばらく黙っていたが、ぽつりと声を落とした。
「……君たちをどこまで信用していいのだろうか」
 部屋に沈黙が落ちる。ラーガットもエディルもどう反応すべきかわからずに黙っていると、玄関の方で戸が開く音がした。
 また侵入者か、と警戒したのもつかの間で、すぐに懸念は消された。
「おーい、ラグ、エディル。帰ってきてるんだろー?」
「アールス叔父さんだ! ……って、どうしたの、お兄ちゃん」
 視線をさまよわせた兄は、妹の問いにぽつりと答えた。
「……この状況、どう説明したもんだろうかと思ってな」
 兄妹はぼろぼろの部屋を見回した。寝ている子どもと、まだ気絶したままの男たち。ラーガットはさらに幽霊に視線をやってため息をつく。
 と、叔父が部屋の戸を開けた。
「ああ、いたいた。ガールが夕飯……ってなんだこりゃ、この惨状は」

(5に続く)


どうにか
posted by 綾野忍 at 02:01| Comment(0) | 捧花の夢

2007年01月27日

捧花の夢/厄介事の種4(2)

 ラーガットは精霊を見ることはできても、霊感はエディルほど強くない。神々の力を感じ取ることはできるが、神々や霊魂といったものを「見た」ことはない。
 それなのに何故、というラーガットのぼやきとも呟きともしれない言葉に、シェルプスと名乗った幽霊が反応した。
「なんだ、最初は見えていなかったのか? だが、存在を感じ取れるくらいの素質はあったようだし、さんざん同調した後ならそのくらいは当然だろう」
「同調って……あ」
 ラーガットは思い当たった。
 ──ちょっと貸せ。
 倒れる前に聞いたあの声は、そういうことだったのだ。
「……つまり、何だ。この頭痛とだるさと筋肉痛はあんたのせいか……」
「鍛えが足りぬお前が悪い。非力だな」
 ツンと明後日の方を向く幽霊に、ラーガットはぐっと詰まった。たしかに否定は出来ない。だが、このくらいの反論は許されるはずだ。
「あんた、俺の身体を動かしただけじゃない。精霊まで俺を介して使っただろう」
 倒れて頭を打ったときに出来たたんこぶや、踏まれた背中と手首の痛みは別として、頭痛やだるさや筋肉痛はすべて、むりやり精霊を使役して本来の自分には使えない術を発現させた代償だ。
「ステーレットのためでもあったが、お前たちの危機でもあった。感謝されこそすれ、咎められることではないと思うがな」
「そうよお兄ちゃん、シェルプスさんは命の恩人なんだから」
 恩人、とラーガットは呟いた。部屋をぐるりと見回す。
「……それにしたってこの部屋、酷い惨状なんですがね」
 この幽霊がいったいどれだけ大暴れしたのかは、部屋のあちこちに残された傷を見ればよくわかった。エディルが座り込んでいた場所を覗いて、壁という壁、床という床に切り刻まれたかのような傷跡がある。窓の硝子も割れているし、外に通じる戸も蝶番が外れかけていた。棚に並べられていた数々の本の背表紙には傷が走り、寝台の布団も大きく裂けて使い物にならなくなっている。
 それには妹も「まあねえ」と同意する。幽霊は気まずそうに視線をそらした。
「……それは悪かった。お前の身体を通じての精霊の使役はなかなか手こずってな。許せ」
「そういえばあのとき、『さっきの詫びだ』とか言ってたよな。最初にこの部屋を開けたときに俺に敵意を叩きつけたの、あんただろ。あんなすさまじいことができるなら、わざわざ俺を使わなくてもあれをもう一回やればよかっただろう」
「あんな疲れること、そうそう出来るか馬鹿者。あれのせいでこちらもしばらくは瀕死だったのだ」
 ラーガットに視線を戻して呆れた口調で応えた幽霊に、ラーガットも呆れた口調で言い返す。
「瀕死って、あんたもう死んでるだろ」
「言葉のあやだ、そのくらい聞き流せ。それに、この有り様を保てないという意味では死に瀕したと言ってもあながち間違いではない」
「そうだねー。こんな強い幽霊さん、普通だったら私、この部屋に入ったときにすぐ気づくと思うよ。そうとうヘトヘトだったんじゃないかな」
 幽霊などの気配には敏感なエディルが横から口を出した。
「じゃあ何でそんなに疲れることを最初はやったんだよ」
「何日も閉じこめられていればそのくらいのことはしたくなる」
 いけしゃあしゃあと言う幽霊に、ラーガットはため息をついた。
「閉じこめたのは俺じゃない、俺の後輩だ」
「だから、間違って昏倒させたことは謝ったではないか」
 二人は軽くにらみ合っていたが、先にラーガットが目をそらした。
「まあ、助けてもらったことは確かだし、それは貸し借りなしということでいい。……それで、あんたたちは何なんだ」

(続)


ほんと何なのよ
posted by 綾野忍 at 21:48| Comment(0) | 捧花の夢

2007年01月26日

捧花の夢/厄介事の種4(1)

 ──日はすっかり暮れてしまった。
 部屋は灯りがともされ、その中で兄妹は向かい合っていた。
 二度目の気絶から目を覚ました兄は寝台に腰掛け、妹は窓際の机に寄りかかっている。
 ラーガットは部屋を見回した後、妹の話を一通り聞くと、頭を振った。
「……悪いけどエディル、もう一回説明してくれ」
「今までの話、聞いてなかったの?」
 むっとする妹に、兄は頭を押さえた。
「聞いてはいたが、右から左に抜けていった気がする」
 実のところ、頭痛が酷いし全身がだるい。さらに何故か全身の筋肉が痛みを訴えており、話に集中していられないのだ。
 まあ、この状況を理解も納得もしたくない、という無意識の逃避行動でもあったのだが、
「……お兄ちゃん」
 ムッとしている妹の表情と声音からすると、これ以上逃げてもいられないようだった。
「ええとだな、まず、見ての通りお前は無事で……」
 気まずい視線を自分の背後にやる。そこにはすやすやと毛布にくるまって寝ている女児がいた。
「それからその子どもも無事。……で、その子の名前が何だっけ?」
「ステーレットだ」
 上から降ってきた声に、ラーガットは額を押さえた。これが一番わけがわからないし信じがたい。うめくように妹を呼んだ。
「エディル」
「なあに、お兄ちゃん」
「お前何とも思わないのか」
「何が」
「……これ」
 ラーガットの指さす先には、大きな布をかぶった男が一人いた。布の下に見える前髪はまっすぐで黒く、肌は驚くほどに白い。切れ長の目は優しげな形を描いていたが、奥には鋭い光がある。
 別にそれらの容姿自体は問題ではない。
 問題なのは、彼がかぶっている布が灰色であるということ。それから、灰色の生地で作られた聖師装束を身にまとって宙にぷかぷかと浮いているということ。そして何より、そう見えるその場所に、その実体がないということだ。
 灰色生地の聖師装束は死者の証、いわゆる死装束である。そんなものに身を包んで空中に浮いている実体なき存在を、一般的には幽霊と呼ぶ。といっても、ラーガットは実際に見たことはないのだが。
 だがしかし、現在目の前にそういう存在がいるとなれば、そう判断するしかない。
 が、そんなこと、理解しがたいし納得しがたい。
 ラーガットの視界で、男は不機嫌そうに肩をすくめた。その仕草は妙に生者めいているのに、その身体は半透明で向こう側が透けて見え、ひどく非現実的だ。
「これ、とは失礼な。私にはシェルプスという名前がある」
「そうよお兄ちゃん、失礼よ」
 神殿で聖師をしていたという祖母の血を強く継いだのだろう、エディルは昔から、何かの加減で隔世のモノを見てしまう子どもだった。そのかわりか、ラーガットのように精霊を見ることはほとんどできない。だからこそ神殿学校に通っているわけだが、我が家に現れた幽霊に対するこの馴染みの早さには呆れを通り越して敬意を表すほかない。
 幽霊と妹、彼らを二人と称してよいのかどうかは悩むところだが、ともかくその二人の反応は横においておき、ラーガットはこめかみを揉んだ。
「俺、幽霊は見えないはずなんだが……」

(続)


たわごと
posted by 綾野忍 at 01:33| Comment(0) | 捧花の夢